西小と統合になった学校

西興部小学校は、5校と統合されています。

時代順では、忍路子小学校(昭和46年)、中興部小学校(昭和50年)、上藻小学校(昭和51年)、中藻小学校(昭和54年)、上興部小学校(令和5年)となります。

忍路子小学校(おしょろっこしょうがっこう)

※以下の内容は、西興部小学校に残っていた「忍路子小学校の歩み」(昭和46年3月16日発行)から引用しました。 
校舎

概要

  1. 位置と所在地
    • 東経142度45分 北緯44度20分 標高170メートル
    • 紋別郡西興部村字上興部原野南7号598の1(西興部村字忍路子)
    • 西興部駅より4.4キロメートル
    • (国道瀬戸牛橋から忍路子方向に1キロメートル、二差路を左に3キロメートルほどで右に学校跡地の標識あり。)
  2. 建物
    • 校舎・・・35坪 へき地集会所 35坪 校舎付設住宅23坪 物置 10坪 教員住宅 12.5坪
  3. 校地
    • 総坪数 900坪
  4. 校下戸数
    • 8戸

沿革の概要

年代  できごと 
昭和26年1月23日 忍路子部落総会において、小学校児童の通学困難と不就学、長欠児童が多い事により分校設置を協議。
昭和26年2月11日 村当局に対し分校設置申請書を提出。村議会で可決される。
昭和26年4月30日 鷲野辰次郎氏校舎敷地として3反歩寄付。
昭和26年9月 5日 校舎建築工事着工。建設委員長鷲野辰次郎氏、建設請負者牧野守男氏。
昭和26年11月10日 村議会で翌年度より独立校とすることを議決す。
昭和26年11月20日 校舎落成。開校式挙行。(1学級 児童数20名) この日をもって開校記念日とす。
昭和27年4月 1日 西興部村立忍路子小学校として昇格。独立校となる。(1学級 児童数25名)
昭和27年5月 1日 初代校長 岩浅 一彦氏発令。
昭和27年5月26日 忍路子PTA創立。初代会長 鷲野 辰次郎氏。
昭和27年9月10日 校長住宅10坪増築。物置6坪新築。
昭和30年5月16日 2代校長 青島 倫策氏発令。
昭和31年10月10日 教員住宅1戸(12.5坪)落成。
昭和32年4月18日 2代校長 青島 倫策氏病気死亡。
昭和32年4月21日 3代校長 鈴木 孝雄氏発令。
昭和32年8月15日 ビニール管利用による簡易水道施設完成。
昭和32年11月13日 NHKよりトランジスターラジオを寄贈される。
昭和32年12月15日 へき地集会所(35坪)落成。
昭和34年4月 1日 2学級編成許可(児童数30名)
昭和34年12月13日 風力発電による電灯施設完成。
昭和36年1月 1日 4代校長 榎本 武雄氏発令。
昭和36年11月20日 開校10周年記念式典挙行。校歌制定(作詞作曲 柏倉 義夫氏)
昭和37年12月25日 公衆電話付設される。
昭和38年6月22日 物置10坪新築落成。
昭和39年11月15日 農電施設完成により、部落に電灯ともる。学校にテレビ備う。
昭和40年4月 1日 5代校長 石塚 広志氏発令。
昭和41年4月 1日 教員定数3名となる。
昭和42年4月 1日 許可学級1、教員定数2名となる。
昭和43年4月 1日 6代校長 嶋谷 道明氏発令。
昭和44年1月10日 PTA決議により、村当局へ学校存続についての陳情書提出。
昭和44年3月31日 この年度卒業生なし。
昭和44年11月12日 NHKテレビ番組「北海道の窓」にて「2人と2人」のタイトルで学校の現況を報道さる。
昭和46年3月16日 第18回卒業式挙行。在籍児童皆無となるため、並行式を併せ行い19年の歴史を閉ず。

教育目標

 自分で考えてしっかりやる。自分から働きかけて役に立つ。
  • 学習:勉強のし方がわかる子ども
  • 身体:正しい動作のできる子ども
  • 性行:やさしい心をもつ子ども、よいことを進んでやる子ども
  • 仕事:仕事を見つけ役に立つ子ども

校歌

柏倉 義夫 作詞・作曲・・・楽譜は残っていません。
  1. 香れよ こぶし えぞの花 唄えよ ひばり 春のうた
    今日も明るく すごやかに 希望の丘を 超えて行こう
  2. 咲けよ いもの花 郷の花 ひびけ せせらぎ 夏のうた
    今日も正しく 大らかに 札滑岳に 叫ぼうよ
  3. みのれよ 木の実 山の幸 勇め わかごま 秋のうた
    今日も仲よく にこにこと はずむボールで あそぼうよ
  4. 降れよ 粉雪 北の花 吹けよ 北風 冬のうた
    今日も元気で ほがらかに 肩くみ合って 進もうよ

卒業児童数

  • 分校:女子2名
  • 小学校:男子36、 女子26名、 計62名

忍路子小学校跡地 (平成21年10月撮影)

国道から4キロメートルほど入ったところに学校跡を示す記念碑が立っています。夏になると、道路横の草が伸び、見逃してしまうかもしれません。
忍路子入口には人は住んでいますが、中に入ると住宅があっても人は住んでいないようです。
この奥は、五六峠と言って滝上などに通じる峠があります。村でハイキングを計画する場所でもあります。
学校跡
忍路子入口

中興部小学校(なかおこっぺしょうがっこう)

 ※以下の内容は、西興部小学校に残っていた「学事報告」(昭和50年3月21日発行)から引用しました。
校舎

沿革の概要

 年代 できごと 
昭和10年9月 1日 瀬戸牛尋常小学校所属中興部特別教授場として設立
昭和10年10月17日 実習地一段八畝十三歩 植栽地四段二畝二歩許可
昭和11年11月12日 校舎新築 校地拡張
昭和12年2月18日 特別規定により尋常小学校に昇格
昭和16年4月 1日 国民学校と改称
昭和22年4月 1日 新学制実施により中興部小学校と改称
昭和23年12月 1日 教員住宅建築 一棟二戸
昭和25年4月 1日 旧校長住宅を教室に改造
昭和34年4月 1日 二学級編成となる
昭和34年7月 1日 屋内運動場新築
昭和38年10月 1日 校長住宅新築
昭和39年3月 8日 校歌制定
昭和40年4月 1日 教員3名配置となる
昭和43年5月24日 開道百年記念植樹
昭和43年8月12日 教員住宅改修
昭和43年10月10日 つつじ植樹
昭和45年6月15日 電話取り付け
昭和45年10月21日 ホームポンプ取り付け 門柱新設 テレビアンテナ取り付け 水銀灯設置
昭和46年10月10日 つつじ植樹 電気工事 天井修理
昭和47年10月10日 校舎屋根塗装 遊具修理 ピアノ購入
昭和48年5月 1日 林務署より山火事予防消防に関しての表彰を受ける 天人峡温泉に招待される
サイエンスカー来校 ハウスで花の苗を育てる
昭和49年6月15日 合同大運動会
昭和49年9月 1日 50周年記念式典
昭和49年11月 3日 学芸会 つつじ処分 学校跡石碑立つ
昭和50年3月21日 卒業式 閉校式
 

教育目標

 住みよい社会をつくる主体的な力をそなえた子どもの育成をめざして
  • 健康で明るい子ども・・・・・・・・・心身の健康
  • おちついて考える子ども・・・・・・・真理の追究
  • なかよく親切なこども・・・・・・・・人間尊重
  • 自分からはたらく子ども・・・・・・・勤労意欲

校歌

大塚 盈 作詞・山口 祐功 作曲
  1. みどりの山よ 立つ風よ 明るい朝の 窓あけて
    瞳すずしく 呼ぶ雲に ああ中興部小学校 みんなの夢が光ります
  2. 紅葉よ照よ 澄む空よ 日に透く流れ近く見て
    友といこいの 手をとれば ああ中興部小学校 みんなの歌が揃ます
  3. きばなの道よ 雪晴よ 寒波の中に 冴え冴えと
    返るこだまを聞きながら ああ中興部小学校 みんなの意気が揚がります
楽譜

中興部小学校跡地(平成21年10月撮影)

 建物を借りて住んでいらっしゃる方がいて、建物は意外にしっかりと残っています。
校舎

国道からは、上のように校門と体育館が見えます。

石碑

閉校時に建てた石碑が校門横に立っています。

校舎正面

グランド中央から校舎を正面から見たところです。

斜めから見た校舎

斜めから、建物の老朽化している様子がわかります。

上藻小学校(かみもしょうがっこう)

 ※以下の内容は、西興部小学校に残っていた「学事報告」(昭和50年3月24日発行)と西興部村史から引用しました。
校舎

沿革の概要

大正4年6月1日、第一上藻特別教授場として授業を開始。以来、満59年を経、昭和50年6月1日(開校記念日)をもって満60年となる。
 年代 できごと 
大正4年5月24日 上興部第一教育所所属第一上藻特別教授所開設許可
大正4年6月 1日 開校 児童数約86名
大正7年7月 七重尋常小学校所属第二上藻特別教授所開設(19号)
大正11年10月27日 校舎移転、第二教授所併合、上藻尋常小学校に昇格
大正15年11月 2日 補習科併置、修業年限1年
昭和6年8月31日 現位置に新校舎建築、95.25坪、移転
昭和8年4月 1日 高等科が設置される
昭和16年4月 1日 上藻国民学校と改称
昭和19年1月23日 校舎118.5坪増改築落成
昭和22年4月 1日 学制改革により村立上藻小学校と改称
昭和23年 中学校が併置される(村史では22年4月1日)
昭和25年10月25日 屋内運動場48坪他15坪落成
昭和41年3月31日 西興部中学校に統合のため、中学校分離、授業は昭和42年3月まで同校で実施。
昭和51年3月31日 児童数減少のため廃校
 

教育目標

よく考え、やりぬく子ども
仲よく、仕事をする子ども
みんなのためになる子ども
健康で明るい子ども

校歌

坂本 亮 作詞・津田 甫 作曲
  1. みどりの峡(かい)の朝風に めざめ はばたく 鳥のよう
    ひかれ あかるく みんなの目 いきいき けさも 学ぶため
    上藻の このよい 学校で
  2. せせらぎ ひびく 谷川は うつす かがやく 空と星
    すすめ あしなみ ふみしめて たしかに いつも 励むため
    上藻の このよい 学校で
  3. 夕ぐれ 青く 里に来て 高く 燃えたつ あかね雲
    歌え あふれる よろこびを ゆたかに あすも 育つため
    上藻の このよい 学校で
楽譜

楽譜は卒業生にいただきました

上藻小学校跡地(平成21年10月撮影)

西興部~滝上(道々137号)の2差路付近(宇野牧場より100mほど滝上側)に校門が残っています。校名も残っていますが、笹に隠れて見つけづらくなっています。
校門右の坂道を上がると体育館が見えます。建物はだいぶ壊れてきていますが、農家の倉庫として使われています。
校門

道路から

校門

校名も残っています。

体育館

道路からも崖の上を見ていると体育館が見えます。

体育館

農家の倉庫として使われています。

中藻小学校(なかもしょうがっこう)

 ※以下の内容は、西興部小学校に残っていた「学校要覧」(昭和40年発行)と西興部村史から引用しました。
校舎

沿革の概要

 年代 できごと 
大正5年6月1日 上興部第2教育所所属中藻興部特別教授所として開設さる
大正6年3月2日 中藻特別教授所と改称さる
大正7年4月1日 七重尋常小学校所属となる
大正10年7月 校舎新築移転す
大正12年5月2日 瀬戸牛尋常小学校の所属となる
昭和2年7月10日 校舎移転新築 通学区変更さる
昭和7年8月15日 中藻小学校に昇格す
昭和9年4月1日 2学級許可さる
昭和16年4月1日 中藻国民学校と改称さる
昭和20年4月1日 高等科1学級併置され3学級編成となる
昭和22年4月1日 西興部村立中藻小学校(2学級編成) 西興部村立中藻中学校(1学級編成)と改称され両校併置さる
昭和24年7月 小学校、中学校各1教室新築落成さる
昭和28年7月15日 小学校校舎新築落成す 職員住宅1棟1戸新築落成す ピアノ購入
昭和30年8月17日 屋内体育館新築落成す
昭和31年11月 職員住宅1棟2戸新築落成す
昭和33年9月 グランド拡張 家事室新築落成す
昭和34年12月 校長住宅新築落成す
昭和37年8月 石炭庫新築落成す
昭和12月 中藻全域に通電す
昭和39年4月 中学校2学級許可さる
昭和40年6月 開校50周年を迎う 記念式典
昭和41年4月1日 併置されていた中学校 統合のため分離
昭和51年12月 中藻第2会館において統合についての懇談会
昭和54年3月20日 中藻小学校閉校式
 

教育目標

~ 明るく豊かでのびのびした心身共に健康な子どもの育成 ~
  1. 自分で考え実践する
  2. 自発的で助け合い励まし合う
  3. 合理的に考え、科学的に処理する
  4. 生産への意欲を高め社会発展に寄与する
  5. 僻地性を克服する工夫と熱意を身につける
◇こういうこどもになろう◇
  • 明るく 元気で すなおな子
  • 落ち着いて よく考え 注意深い子
  • 仲よく話し合い 助け合える子
  • 自信をもって話し 信念をもって行える子
  • 思いやりのある やさしい子 

校歌

作詞 阿部 隆貫 ・ 作曲 宮川 和夫
  1. 祖先の 開拓れし
    沃野は遠く 連なりて
    五穀の稔り 豊かなり
    平和の郷よ わが中藻
  2. 朝に仰ぐ ウエンシリ
    流れて絶えぬ せせらぎに
    われらは いつも育くまれ
    静けく 清く 生い立てり
  3. 天の恵みと 人の和を
    わが学びやの 誇りにと
    心を磨き 身体を鍛え
    いざや求めん 人の道
楽譜

昭和40年学校要覧より

中藻小学校跡地(平成21年10月撮影)

 現在も倉庫等に利用され、校門・校舎・校長住宅がしっかりと残っています。 
校舎正面

校門・校舎

石碑

閉校の記念に建てられた石碑です。

遠景

校舎全体がのこり、学校のあった当時が想像できます。

校長住宅

校舎右横の校長住宅。手を入れれば住めそうな建物です。

問い合せ先・担当窓口

西興部小学校

  • 住所 〒098-1501 北海道紋別郡西興部村字西興部240番地
  • メールアドレス: nishisho.kyoto@nishiokoppe-edu.com
  • 電話番号: 0158-87-2230
  • ファクシミリ: 0158-87-2230